夏目漱石

小説家

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夏目漱石の名言

夏目漱石の過去の名言をまとめた名言集です。

  • 鋳型に入れたような悪人は世の中にあるはずがありませんよ。平生はみんな善人なんです、少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざと言う間際に、急に悪人に変わるんだから恐ろしいのです。

    出典:  夏目漱石「こころ」

  • 職業というものは要するに、人のためにするものだということに、どうしても根本義を置かなければなりません。人のためにする結果が己のためになるのだから、元はどうしても他人本位である。すでに他人本位であるからには種類の選択分量の多少すべて、他を目安にして働かなければならない。

  • 我々は他が自己の幸福のために、己の個性を勝手に発展するのを、相当の理由なくして妨害してはならないのであります。

  • 借りた金を返すことを考えない者は幸福なるごとく、死ぬことを苦にせぬ者は幸福である。

  • 表面を作る者を世人は偽善者という。偽善者でも何でもよい。表面を作るという事は内部を改良する一種の方法である。

  • 自分のしていることが、自分の目的になっていないほど苦しいことはない。

    出典:  夏目漱石「行人」

  • 「ああ、ここにおれの進むべき道があった!ようやく掘り当てた!」こういう感投詞を心の底から叫び出される時、あなたがたははじめて心を安んずる事ができるのでしょう。

  • 人間の目的は、 生まれた本人が、本人自身に つくったもので なければならない。

  • 離れればいくら親しくってもそれきりになる代わりに、一緒にいさえすれば、例え敵どうしでもどうにかこうにかなるものだ。つまりそれが人間なんだろう。

    出典:  夏目漱石「道草」

  • 私は常からこう考えています。第一に貴方がたは自分の個性が発展できるような場所に尻を落ち付けべく、自分のぴたりと合った仕事を発見するまで邁進しなければ一生の不幸であると。

  • 道徳に加勢する者は一時の勝利者には違いないが、永久の敗北者だ。自然に従う者は一時の敗北者だが、永久の勝利者だ。

  • のんきと見える人々も、心の底を叩いてみると、どこか悲しい音がする。

  • ナポレオンでもアレキサンダーでも、勝って満足したものは一人もいない。

  • あなたが今、撒く種はやがて、あなたの未来となって現れる。

  • 時代の風潮、自分を取り巻く環境、さまざまな価値観、それらを正しく見きわめ、自分の判断で行動できるのは、どこにも属さない「迷子」だけだ。

  • もし人格のないものが無闇に個性を発展させようとすると、他を妨害する。権力を用いようとすると、濫用に流れる。金力を使おうとすれば、社会の腐敗をもたらす。随分危険な現象を呈するに至るのです。

  • 吾人は自由を欲して自由を得た。自由を得た結果、不自由を感じて困っている。

  • 智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。

    出典:  夏目漱石「草枕」

  • 古い道徳を破壊することは、新しい道徳を建立する時にだけ、許されるのです。

  • 私は冷かな頭で新らしい事を口にするよりも、熱した舌で平凡な説を述べる方が生きていると信じています。血の力で体が動くからです。

  • 義務心を持っていない自由はほんとうの自由ではないと考えます。

  • 人間はただ眼前の習慣に迷わされて、根本の原理を忘れるものだから気をつけないと駄目だ。

    出典:  夏目漱石「吾輩は猫である」

  • 君、弱いことを言ってはいけない。僕も弱い男だが、弱いなりに死ぬまでやるのである。やりたくなくたってやらなければならん。君も其の通りである。

  • 香を嗅ぎ得るのは、香を焚き出した瞬間に限るごとく、酒を味わうのは、酒を飲み始めた刹那にあるごとく、恋の衝動にもこういう際どい一点が、時間の上に存在しているとしか思われないのです。

    出典:  夏目漱石「こころ」

  • 今日まで生き延びたから色々の漱石を御目にかける事が出来た。これから十年後には、また十年後の漱石が出来る。

  • ある人は十銭をもって一円の十分の一と解釈する。ある人は十銭をもって一銭の十倍と解釈する。同じ言葉が人によって高くも低くもなる。

  • 現代の社会は孤立した人間の集合体に過ぎなかった。大地は自然に続いているけれども、その上に家を立てたら、たちまち切れ切れになってしまった。家の中にいる人間もまた切れ切れになってしまった。

    出典:  夏目漱石「それから」

  • 自己を表現する苦しみは、自己を鞭撻する苦しみだ。

    出典:  夏目漱石「私の個人主義ほか」

  • 涙がこぼれる程だと例えに言うが、涙が出る位なら安心なものだ。涙が出るうちは笑うこともできるに決まっている。

    出典:  夏目漱石「坑夫」

  • 自分が幸福でないものに、他を幸福にする力がある筈がありません。

夏目漱石について

夏目漱石は「近代日本文学の巨匠」、「近代日本の代表的国民作家」などと呼ばれる日本を代表する小説家。112にも及ぶ作品を残し、その内容、テーマは多彩だが、当時の思想に関わる問題、社会的な問題、人間の生き方に関わる問題などを、客観的な小説の手法で描き出し、多くの読者を魅了した。

1867年(慶応3年)現在の東京都新宿区牛込に生まれた。本名は夏目金之助。父夏目直克は牛込や高田馬場一帯を管理する名主で、比較的豊かな一家であった。しかし、夏目漱石は5男3女の末っ子として生まれたため跡取りとしての期待はなく、生後間もなく里子に出され、のちに養子になった。9歳で養子先の父母が離婚したため、夏目家に戻ることになる。

夏目漱石は学業優秀で、第一高等学校から東京帝国大学英文科というエリートコースを歩む。1893年(明治26年)大学を卒業後すると教職を務め、高等師範学校、松山中学、熊本五高で教鞭をとる。1900年(明治33年)33歳で文部省留学生として英国に留学。3年後に帰国すると、日本人として初めて東京帝大英文科で講師となる。1905年(明治38年)「ホトトギス」に掲載した「吾輩は猫である」が評判となる。以降「幻影の盾」、「草枕」などを発表。1907年(明治40年)夏目漱石は教職を辞し朝日新聞に入社して従業員、小説に専念。「夢十夜」、「三四郎」などで文壇で揺るぎない地位を確立。夏目漱石の活躍により小説家が新聞社の従業員となり小説を発表していくという形態が流行し、新聞小説は隆盛した。中期から晩年は人間の心理を丹念に描いた。その頃の代表作として「それから」、「門」、「こゝろ」、「道草」、「明暗」などがある。

1916年(大正5年)「明暗」を朝日新聞に連載している途中、胃潰瘍により死去した。享年49歳。「明暗」は夏目漱石の死去により未完となった。

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